「熊野古道」は、世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち・Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range)』に登録されている『熊野三山』への参道です。
同じく世界遺産である高野山から『熊野三山(「熊野本宮大社[くまのほんぐうたいしゃ]」「熊野速玉大社[くまのはやたまたいしゃ]」、「熊野那智大社[くまのなちたいしゃ]」)へ向かう“小辺路(こへち)”、京都から紀伊半島西側の海岸線を回って紀伊田辺から向かう“中辺路(なかへち)”、田辺からさらに紀伊半島を海岸線沿いに歩く“大辺路(おおへち)” 、世界遺産の吉野から大峯(おおみね)を経由する山岳路“大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)”、伊勢神宮と『熊野三山』を結ぶ“伊勢路”が『参詣道』として世界遺産に指定されています。
「熊野古道」の中で、“大峯奥駈道”は、修験者(しゅげんじゃ)が修行のため通る険しい道なので一般の参詣者はほとんど通りませんが、そのほかの道は海岸線の“大辺路”を除いてかなりの山の中なのですが、天皇をはじめ藩主から一般人まで多くの人が『熊野三山』へと向かいました。“大辺路”は回り道なので距離が長く、山道とはまた違った苦労がある長旅だったのです。
「熊野古道」に湧く温泉は参詣のご褒美
熊野詣(くまのもうで)の人たちにとってひとときのやすらぎは温泉でした。特に「熊野本宮大社」に近いところに世界遺産の資産として登録されている「湯の峰温泉(ゆのみねおんせん)」や、川が温泉になる「川湯温泉(かわゆおんせん)」などの温泉があり、「熊野那智大社」近くの海岸に「南紀勝浦温泉(なんきかつうらおんせん)」、“大辺路”には「南紀白浜温泉(なんきしらはまおんせん)」が湧いています。いずれも歴史ある温泉で、天皇や藩主などが訪れた記録も残っています。“小辺路”近くには紀州藩の御用湯だった「龍神温泉」もあります。
長く険しい道を歩いてきた人々にとってこの温泉は疲れを癒やすのに最高のご褒美だったに違いありません。もしかしたらこれらの温泉があったから歩いてこられたのかもしれませんね。
「熊野古道」の温泉は火山がないのに硫黄の香り
「熊野古道」周辺にある温泉の泉質は多くは硫黄(いおう)を含んでいます。硫黄は火山活動によって自然に生成される黄色い物質で、硫黄そのものは無臭ですが、燃えると二酸化硫黄(亜硫酸ガス)、いわゆる“卵の下った匂い”を発生します。また、火山性ガスである硫化水素ガスが冷えると硫黄が生成されます。
ということは「熊野古道」の温泉は火山由来のものと考えられるのですが、熊野のある紀伊半島には火山がありません。それなのに何故硫黄分のある温泉、しかも火山性に多い高温の温泉が湧き出しているのでしょう。これは長い間諸説ふんぷんでよく分からなかったのですが、2000年代に入り有力な説が出てきました。
大陸プレートが関係する「熊野古道の温泉」
日本の紀伊半島を含む西半分はユーラシアプレート上にあるのですが、その下には太平洋側のフィリピン海プレートが潜り込んでいます。それが巨大地震の巣(南下トラフなど)になっているのですが、潜り込む際の摩擦でプレートの岩石にものすごい圧力がかかると岩石から何100度という“水”が出る(脱水作用)そうで、多くの「熊野古道の温泉」その超高温水が地下水などによって冷やされ、また硫黄などの成分が混ざって地上に出てきたのです。地下40km~80kmで起きている現象で、兵庫県の「有馬温泉」も同様な温泉です。
海岸にある温泉は一般的に低温で単純な塩化物泉が多いのですが、「白浜温泉」「南紀勝浦温泉」の主な源泉は高温でしかも硫黄分が含まれているので、プレート由来の温泉と考えられています。
日本最古の温泉、「湯の峰温泉」
「熊野本宮大社」近く、熊野古道のメインルートである“中辺路”沿いにある温泉です。開湯は1800年前で、“日本最古の温泉”争いに名乗りを上げています。“日本最古の温泉”と標榜している温泉は、「有馬温泉(ありまおんせん)」(兵庫県)、「白浜温泉」(和歌山県・後述)、「道後温泉(どうごおんせん)」(愛媛県)、「玉造温泉(たまつくりおんせん)」(島根県)、「別所温泉(べっしょおんせん)」(長野県)、「飯坂温泉(いいざかおんせん)」(福島県)、「武雄温泉(たけおおんせん)」(佐賀県)、「粟津温泉(あわづおんせん)(福井県)、「湯河原温泉(ゆがわらおんせん)」(神奈川県)などがあります。また「有馬温泉」「白浜温泉」「道後温泉」は“日本三大古湯”と呼ばれています。これらは開湯した年代推定のよりどころとして、『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』など、奈良時代(710年~784年)の書物に登場していることですが、残念ながらすべて正確なところは分かりません。
「湯の峰温泉」は、“日本最古の温泉”をうたっていますが、「古事記」などの書物には登場していません。それでは何故“日本最古”なのでしょう。
4世紀(300年代)に熊野の国造(くにのみやつこ=現在の都道府県知事)だった大阿刀足尼(おおあとのすくね)によって発見されたと伝わっています。その当時はすでに「熊野本宮大社」は鎮座していて、歴代の上皇が訪れています。上皇たちは「湯の峰温泉」にも立ち寄っていて、それにより広く知られるようになったのです。このことは奈良時代より前の時代の出来事であり、“日本最古”というのも間違いではなさそうです。
世界で唯一、世界遺産の湯に入浴できる「湯の峰温泉」
「湯の峰温泉」は現在でも木造の温泉宿や神社、民家が川沿いの街道に並び、川端からは90℃の源泉『湯筒(ゆづつ)』から常に湯気が立ち上る、なんとも昔ながらの温泉情緒があふれた温泉場です。『湯筒』では湯につけてゆで卵やゆで野菜などを楽しむことができます。
特に有名なのが、色が気温や天候によって7色に変わる天然岩風呂の『つぼ湯』で、世界遺産に登録されています。小さな岩風呂ですが、世界で唯一入浴できる世界遺産です。
「湯の峰温泉」の泉質は含硫黄・ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉で、弱アルカリ性、泉温89.6℃の高温泉です。
湯の峰温泉
和歌山県田辺市本宮町湯峯
問い合わせ:熊野本宮観光協会
電話番号:0735-42-0735
アクセス:
公共交通機関/南紀白浜空港から熊野本宮行き直通バスで熊野本宮乗り換え、新宮勝浦方面行き路線バスで約13分、またはJR紀勢本線紀伊田辺から熊野本宮方面行き路線バスで約100分、またはJR紀勢本線新宮駅から熊野本宮方面行き路線バスで約70分、湯の峰温泉バス停下車
車/阪和自動車道南紀田辺ICから国道42号線、311号線経由約70分
URL:https://www.tb-kumano.jp/onsen/yunomine/
川底から湧く70℃の温泉「川湯温泉」
「川湯温泉(かわゆおんせん)」は、「熊野本宮大社」に近い熊野川の支流、大塔川(おおとうがわ)の川底から湧く温泉です。冬の間73℃の源泉に川の水を引き込んで適温にした大露天風呂「仙人風呂」が有名で、江戸時代から利用されていたともいわれています。河川敷に造られる「仙人風呂」は12月~2月末日までの季節限定露天風呂です。川の水量が増える春から秋は大きな露天風呂を造ることができない代わりに、自分で河川敷を掘って自分用の小さな露天風呂が作れます。泉質はナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉で、泉温は73℃、宿泊施設は12軒ほどです。公衆浴場が1軒あります。
川湯温泉
住所:和歌山県田辺市本宮町川湯
問い合わせ:熊野本宮観光協会
電話番号:0735-42-0735
アクセス:
公共交通機関/南紀白浜空港から熊野本宮行き直通バスで熊野本宮乗り換え、新宮勝浦方面行き路線バスで約11分、またはJR紀勢本線紀伊田辺から熊野本宮方面行き路線バスで約110分、またはJR紀勢本線新宮駅から熊野本宮方面行き路線バスで約60分、湯の峰温泉バス停下車
車/阪和自動車道南紀田辺ICから国道42号線、311号線経由約75分
URL:https://www.hongu.jp/onsen/kawayu/
新しく湧出した効能豊かな温泉「渡良瀬温泉」
「渡瀬温泉(わたらせおんせん)」は、1963年(昭和38年)に開湯した新しい温泉です。「湯の峰温泉」と「川湯温泉」の中間に位置し、「渡瀬温泉」も含め『熊野本宮温泉郷』として国民保養温泉地に指定されています。泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉で泉温は52℃です。宿泊施設は温泉宿3軒に温泉入浴ができるバンガロー・キャンプ場があります。
渡瀬温泉
住所:和歌山県田辺市本宮町渡瀬
問い合わせ:熊野本宮観光協会
電話番号:0735-42-0735
アクセス:
公共交通機関/南紀白浜空港から熊野本宮行き直通バスで熊野本宮乗り換え、新宮勝浦方面行き路線バスで約10分、またはJR紀勢本線紀伊田辺から熊野本宮方面行き路線バスで約105分、またはJR紀勢本線新宮駅から熊野本宮方面行き路線バスで約65分、湯の峰温泉バス停下車
車/阪和自動車道南紀田辺ICから国道42号線、311号線経由約75分
URL:https://www.hongu.jp/onsen/wataze/
★「南紀勝浦温泉」「南紀白浜温泉」「龍神温泉」「新宮雲取温泉」の情報は『熊野古道の温泉2』で掲載しています。
基本情報
熊野本宮温泉郷 「湯の峰温泉・川湯温泉・渡瀬温泉」
問い合わせ:熊野本宮観光協会
電話番号:0735-42-0735
URL:https://www.hongu.jp/onsen/
脚注1:修験者(しゅげんじゃ)
修験者とは、山岳での修行と、それによって得られるという験力への信仰を中核とした宗教活動である修験道の担い手で、山伏(やまぶし)をもいわれています。平安時代中期に成立し、現在に至るまで、日本の祭り・儀礼・芸能・文学・美術・建築・口頭伝承などに大きな影響を与えてきますた。
修験者は、正装に身を包み、金剛杖をつき、法螺(ほら)を鳴らし、山野に露宿して修行します。
参照:日本山岳修験学会
修験者 コトバンク
脚注2:国造(くにのみやつこ)
大和時代に朝廷によって任じられた地方官の一つ。今で言う都道府県知事、首長。
参照:国造 コトバンク