日本国内において天守が現存している城はわずか12城しかありません。兵庫県にある姫路城はその中の一つです。高くそびえる大天守や白い漆喰が映える華やかな姿から白鷺城とも呼ばれています。
姫路城はその美しに加え、櫓、門、石垣などの土木工作物がきれいに保存されていることなどが評価され、1993年「法隆寺地域の仏教建造物」とともに日本で初めて世界文化遺産に登録されました。
姫路城のなりたち
日本にはかつて、たくさんの城がありました。城はあるときは戦の拠点となり、またあるときは権力を誇示する道具でした。しかし戦乱の世が終り江戸時代になると、徳川幕府は各地を治める大名が持てる城を一つに限定し、他の城はすべて壊すよう命じます。城を減らすことで大名の力を削ぎ、徳川幕府に従わせるためでした。その後、明治政府による廃城令や太平洋戦争の空襲などにより多くの城が失われましたが、姫路城は天守が今も現存している貴重な城です。
姫路城は1346年に赤松貞範により築城されて以来、何人もの武将が城主となりました。1580年には羽柴秀吉が城主となり、3層の天守を築きます。1601年には池田輝政が大改築を行い、城は現在の姿に近づきました。
また、1616年に徳川家康の孫娘である千姫が、当時の城主の息子に嫁ぎました。三の丸や西の丸は、そのときの持参金を元手に整備されたものです。現在、西の丸ではたくさんの櫓(やぐら)とその間を結ぶ渡櫓(わたりやぐら)が残っていて、中を通って千姫の憩いの場所であった化粧櫓まで行くことができます。
姫路城の見学ポイント
「ほの門」「にの門」
姫路城の天守までは狭い通路といくつもの曲がり角が続いており、まるで迷路のようになっています。道の途中には極端に狭くて一人しか通れない「ほの門」や、上から槍を突き立てて攻撃できる「にの門」などがあり、侵入者を防ぐ様々な工夫がなされています。
刑部神社と天守からの展望
「ほの門」や「にの門」などを通り抜け天守まで辿り着くと、姫路市の街並みが一望できる大パノラマが広がり、長い道程の疲れを癒してくれます。また天守には刑部(おさかべ)神社があり、姫路城の守り神である刑部明神が祀られています。
好古園
姫路城の西側には、かつての御屋敷や武家屋敷、通路跡などの遺構を利用してつくられた好古園があります。敷地には9つの日本庭園があり、それぞれの庭園をつなぐように池や水が流れている池泉回遊式庭園となっています。また、渡り廊下をわたっていく潮音斎(ちょうおんさい)や茶室の双樹庵などがあり、一息入れながらゆっくりと庭園を眺めることができます。