「うだつ(卯建)」は、古い町並みに行くとたまに見かける家と家の間、主に2階部分から道路側にせり出している屋根付きの防火壁です。
城下町や宿場町、門前町など木造の建物が連なっている町では最も恐ろしいのが火災です。いったん火災が起きると次々と燃え移り、町を焼き尽くしてしまうこともしばしばでした。その解決策として造られたのが防火壁「うだつ」です。
『うだつがあがらない』の語源になった「うだつ」
材料は漆喰(しっくい)で、屋根部分には瓦を葺いています。しかし、この「うだつ」、小さくては防火の役割がありません。できる限り大きくして、十分な厚みを持たせる必要があります。そのため、「うだつ」を造るのには大きな費用がかかりました。「うだつ」を造ることを“うだつをあげる”というのですが、大きく立派な「うだつ」は裕福でなくてはあげられません。
「うだつ」は防火壁が本来の目的ですが、造るのにはお金がかかることから、いつの間にかいかに金持ちかを表す象徴となってしまったのです。
そのため、今でも使うことがある『うだつがあがらない』という言葉は、「地位・生活などがよくならない。ぱっとしない」ことに使われるようになりました(諸説あり)。
隣家との仕切りが発達した「うだつ」
「うだつ」は、歴史的にも平安時代の書物(辞書)『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にはすでに登場しています。室町期までは板壁でできていて、京都の町家では隣家との仕切りや風雨よけとしての意味合いで付けていたようです。
江戸時代に入り、城下町や宿場町といった都市形態の町が発達し、家が密集して建てられるようになると、火災によって町全体を焼き尽くしてしまうことが頻繁に起こるようになります。そのため屋根の素材は板葺きから瓦葺きになり、「うだつ」は漆喰(しっくい)という燃えない素材で造られるようになり、防火壁として発達していったのです。
防火対策用の「うだつ」がいつしか金持ちの見栄に
さらに時代が進むと単なる壁だと味気ないということで、「うだつ」にも瓦葺きの屋根が取り付けられ、さまざまな装飾が施されるようになります。そうなってくると、もはや防火壁としてではなく、商家では財力を示す格好の手段になり、競って豪華な「うだつ」を上げるようになったのです。
明治時代以降、西洋文化が輸入され家屋も木造から石やコンクリート造りが普及し始めると、「うだつ」はその役割を終えます。「うだつ」は、昭和初期までは日本全国の町並みに見られたのですが、現在は徳島県美馬市脇町やつるぎ町など保存活動が盛んな町を除いてほとんど見られなくなってしまいました。
藍の集散地として発展した脇町
徳島県美馬市脇町の古い町並みには、「うだつ」を上げている建物が多く残っています。
脇町は、徳島県北部を東西に流れる吉野川沿いに走る撫養街道(ぶようかいどう)と讃岐方面(香川県)から南に下ってくる街道との交差する場所にあり、特産の藍(あい)“阿波藍”の集散地として江戸時代から明治時代にかけて栄えた町でした。
脇町には100を超える藍商人たちが集まり、全国へ藍や藍染めの製品は吉野川を利用して出荷していました。今でも400mに渡って連なる古い町並みには、豪華な装飾を施した「うだつ」が上げられた旧商家の建物が残り、当時の栄華を物語っています。
最も古いものは1707年に造られていて、明治期のものを含め「うだつ」のある建物は50軒ほどにもなっています。建物の多くは間口が9メートル(四間半)以上で、間口の広さで税金の額が決まる江戸時代にあって、その繁盛ぶりがわかります。
藍の生産量は昔も今も日本一の徳島県
脇町に富をもたらした“阿波藍”は、平安時代に阿波国(徳島県)の山間部で行われていた染め物の原料として栽培が始まったといわれ、次第に吉野川の下流域にも広がっていきました。江戸時代になると徳島藩が藍の栽培を奨励したため、大きな産業として発展したのです。
藍は、木綿の生産が国内に広がっていった元禄時代(1700年頃)には全国的な需要が増し、その供給を一手にまかなっていた吉野川沿岸地域では、見渡す限り藍の畑になっていました。
明治時代になっても藍の需要は高まる一方で、1903年(明治36年)には生産量がピークに達しています。その後は海外から格安の藍が輸入されたり、化学合成された藍色の染料ができたりして、藍の生産は衰退の一途を辿り、阿波地方の藍造りも急激に少なくなっていきます。同時に、脇町やその他の藍で潤っていた吉野川流域の町は衰退してしまいました。
ちなみに、藍の生産量は今でも徳島県が日本一で、約7割(令和元年 公益財団法人日本特産農産物協会)のシェアを誇っています。
「うだつの町並み」として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定
脇町の古い町並み(美馬市脇町南町)は「うだつの町並み」として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。それまでほとんど手つかずだった外観の修理を行い、街路の無電柱化などの整備保存が行われ、往事の美しい町並みが復活しました。
うだつの町並み
藍商佐直 吉田家住宅
「藍商佐直 吉田家住宅」は、脇町で最も大きな豪商の館です。1972年創業の藍を扱う問屋で、屋号は『佐直(さなお)』。敷地は約60坪あります。一般公開されていて、藍商の裕福な暮らしぶりがよくわかります。美馬市指定文化財です。
電話番号:0883-53-0960
開館時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
入館料: おとな 510円、こども 250円
休館日:年末年始(12月27日~1月1日)
脇町劇場 オデオン座
「脇町劇場 オデオン座」は1934年(昭和9年)に建てられた芝居小屋です。回り舞台や奈落(ならく)などを備えた本格的な劇場で、1999年(平成11年)に修復されました。
そのきっかけとなったのが、脇町が舞台となった山田洋次監督の映画『虹をつかむ男』です。この映画は俳優渥美清さんが出演予定だった寅さんシリーズ第49作が渥美さんの急逝(1996年8月4日)により頓挫したため、その代わりに製作されたものです。1996年に渥美清さんの追悼映画として公開されました。
「脇町劇場 オデオン座」は、現在でも芝居、映画、落語会など使用されていて見学可能です。
電話番号:0883-52-3807
開館時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
入館料:おとな 200円、小中学生 100円
休館日:火曜日、12月27日~1月1日
※催し物がある日は別途料金
うだつの町並み
問い合わせ先:美馬市役所
電話番号:0883-52-1212(代表)
アクセス
公共交通機関/JR徳島線穴吹駅から路線バスで約7分
車/徳島自動車道脇町ICから約10分
URL:https://www.city.mima.lg.jp/kankou/
つるぎ町貞光の二層うだつの町並み
脇町から吉野川を少し上流に遡ったところにつるぎ町貞光(つるぎちょうさだみつ)があります。貞光は江戸時代より葉たばこの生産で榮えたところで、脇町同様豪華な「うだつ」の商家が今でも立ち並んでいます。
貞光の「うだつ」は“二層うだつ”とよばれる全国でも珍しい形式の「うだつ」で、正面には漆喰にこて(鐺)で絵を描いた“こて絵”、屋根の先端には大黒様や亀など縁起のいい大きな軒飾り(鬼瓦のようなもの)が施されています。各家の見栄の張り合いは脇町同様すさまじいもので、「うだつ」の大きさはもちろん、こて絵や軒飾りまでその複雑さを競っています。貞光の「うだつ」は脇町よりもさらに繁栄していたことをうかがわせると同時に、美術的評価も高くなっています。
つるぎ町は旧貞光町、旧半田(はんだ)町、旧一宇(いちう)村が2005年(平成17年)に合併してできた町で、“半田そうめん”が名産品です。
つるぎ町貞光
住所:徳島県美馬郡つるぎ町貞光
電話番号:0883-62-3111(つるぎ町役場)
アクセス:
公共交通機関/JR徳島線貞光駅下車
車/徳島自動車道美馬ICから約5分
URL:https://www.town.tokushima-tsurugi.lg.jp/docs/3457.html#03
日本各地に残る「うだつ」
「うだつ」は日本各地にわずかながら残っています。その代表的なものは
岐阜県美濃市美濃町(ぎふけんみのしみのまち)※国の重要伝統的建造物群保存地区
長野県東御市海野宿(ながのけんとうみしうんのしゅく)※国の重要伝統的建造物群保存地区
長野県塩尻市奈良井宿(ながのけんしおじりしならいしゅく)※国の重要伝統的建造物群保存地区
愛媛県西予市宇和町卯之町(えひめけんさいよしうわちょううのまち)※国の重要伝統的建物群保存地区
埼玉県川越市川越(さいたまけんかわごえしかわごえ)※国の重要伝統的建造物群保存地区
大分県飛騨市豆田町(おおいたけんひたしまめだまち)※国の重要伝統的建造物群保存地区
北海道小樽市(ほっかいどうおたるし)
広島県三次市三好町(ひろしまけんみよししみよしまち)
以上の地域などに現存しています。
日本人の防火に対する知恵「うだつ」ですが、一説によると屋根伝いに入ってくる泥棒や間男(?)よけになっているとか。…なるほど、それも重要なんですね。
脚注1:うだつがあがらない
「うだつが上がらない」の語源には2つあり、ひとつ目は、梁の上に立てて棟木(むなぎ)を支える短い柱を「うだつ」といい、このうだつが棟木におさえられているように見えることから、頭が上がらない(出世できない)という説と、ふたつつ目は、商家などで隣の家との境に設ける防火壁のことを「うだつ」といい、そのうだつを高く上げることを繁栄のしるしとしたことからとする説があります。
参照:「うだつがあがらない」語源、ご存じですか? トリスミ集成材株式会社
脚注2:和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)
平安時代の漢和辞書。〈わみょうるいじゅうしょう〉とも読み、《和名抄》と略すことがあります。源順(みなもとのしたごう)著、で934年(承平4年)ごろ成立。漢語を意義分類し、出典を記して意味と解説を付し、字音と和訓を示しています。10巻本と20巻本の2種があります。
参照:和名類聚抄 コトバンク
脚注3:漆喰(しっくい)
水酸化カルシウム(消石灰)を主原料とした塗り壁材です。消石灰とは石灰石を焼いて水を加えたもので、糊(のり)やスサ(ひび割れを防ぐ補強材)を加えて、水で練ったものが漆喰です。
参照:漆喰情報 日本プラスター株式会社
脚注4:回り舞台・奈落(まわりぶたい・ならく)
日本の芝居小屋に付けられている機構です。
参照:歌舞伎への誘い
脚注5:こて絵(鐺絵)
こて絵は、漆喰(しっくい)を塗った上に左官道具のこてで風景や肖像などを描き出す技法です。
参照:鐺絵とは 宇佐市観光協会安心院支部