「大内宿」は、福島県南会津地方下郷町(しもごうまち)にある会津西街道の旧宿場町です。街道沿いに茅葺き屋根の民家が整然と建ち並び、美しい日本の原風景が残っている貴重な町並みで、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
江戸と会津を結ぶ最短の街道、会津西街道
会津西街道(下野[しもつけ]街道)は、日光街道今市宿(いまいちしゅく・栃木県日光市今市)から福島県会津若松(あいづわかまつ)を結ぶ約130kmの街道で、江戸時代に会津藩により整備されました。関東から会津地方を通って東北に向かう街道はこの街道の東側に会津若松と奥州街道を結ぶ白河街道があり、白河街道を会津東海道と呼び、下野街道は会津西街道といわれていました。
会津西街道は、会津以北から江戸への最短ルートだったため、会津藩やその北側の米沢藩(よねざわはん)、上山藩(かみのやまはん)などの大名たちが参勤交代(さんきんこうたい)の際に使う重要な街道でした。しかし、山の中を通るルートだったため、たびたび自然災害に見舞われ、江戸時代半ばからは白河街道が主に使われるようになり、寂れていきました。
新しい道路から外れ、取り残された「大内宿」
明治時代になると特に険しい道だった「大内宿」を通るルートは敬遠され、新たに阿賀川(あががわ・阿賀野川)沿いに道路が通されたため、宿場町として機能は完全に失われてしまいました。そのため、外部との交流がほとんどなくなった「大内宿」は、長い間開発とは縁遠い農村としてひっそりとその姿をとどめることになったのです。
1967年(昭和42年)になって、ひとりの学者が旧街道にあった本陣跡などの調査のため「大内宿」を訪ね、昔のままの姿で残っていた家並みに驚き、すぐに保存活動を始めました。そのことが新聞に掲載され「大内宿」が全国に知られるようになったのです。
「大内宿」には、南北500m、東西200mの範囲に40軒あまりの茅葺き家屋(2020年12月末現在)が残り、真ん中を通る街道に対して妻(つま)側を面にして整然と並んで建てられています。また、どの家もほとんど同じ規模の寄棟造(よせむねづくり)になっています。
これは江戸時代に整えられた宿場町の制度(宿駅制度([しゅくえきせいど])で、宿などの建て方や規格が定められていたことの名残です。
人気の名物“じゅうねん”“ねぎそば”。新たな宿場町として蘇った「大内宿」
「大内宿」の茅葺き屋根の民家は、現在民宿や食事処、お土産店として観光客を歓迎してくれます。宿場町時代に戻ったような賑わいです。お土産屋さんには南会津地方の民芸品や会津名産の野菜などが並び、お団子やイワナなどの塩焼きなどがテイクアウトできます。特にじゅうねん味噌を塗った焼き団子や秋田のきりたんぽのような“しんごろう”がおすすめです。じゅうねん味噌を焼いた香ばしさが絶品です。“じゅうねん”とはシソ科植物の種で、健康食品で注目されている“エゴマ”の別名です。福島県では“じゅうねん”といい、じゅうねん油(エゴマ油)もお土産で人気です。
食事処では、イワナなどの焼き魚や山菜、キノコ料理など山里の幸たっぷりの定食が味わえますが、なんといっても“ねぎそば(一本そば)”が人気ナンバーワンです。一本の太い白ネギを箸代わりにして食べる温かいそばで、ネギはそばと一緒にかじって薬味代わりにします。この“ねぎそば”は南会津地方に古くから伝わるそばの食べ方、ではなく「大内宿」のある店が考えた観光客向けのメニューだったのですが、珍しさも相まって大人気になり、今やほとんどの飲食店で出されています。100年後、200年後には伝統料理といわれるようになるのかもしれませんね。
旧本陣を復元した「大内宿 町並み展示館」
「大内宿」には本陣がありました。「大内宿」の町並みで中ほどにある、向きの違う大きな建物が本陣です。旧本陣は、幕末から明治にかけて勃発した戊辰戦争(1868年~1869年)の際に燃やされてしまい、どのような姿だったかは分かっていません。今の建物は、会津西街道にあった川島宿や糸沢宿などの本陣を参考に、茅葺き屋根やお殿様用の出入り口(乗り込み)、最高級設えの部屋など当時のままに復元したものです。現在は「町並み展示館」として使用されていて、1300点あまりの古い生活用具や農業機具などが展示されています。
大内宿 町並み展示館
住所:福島県南会津郡下郷町大字大内字山本8
電話番号:0241‐68‐2657
開館時間:9:00~16:30
休館日:12月29日~翌年1月3日まで
入館料:おとな 250円、小中学生 150円
URL:http://shimogo.jp/sightseeing/oouchijukumachinamitenjikan/
「半夏祭り」「雪まつり」が季節の風物詩
「大内宿」では、夏には伝統行事『半夏(はんげ)祭り』が開催され、多くの観光客で賑わいます。「大内宿」の氏神様(うじがみさま・地元を守る神様)が祀られている「高倉神社」で古くから続く祭りで、白装束に黒烏帽子(えぼし)姿の村の男衆らが、神輿を中心に練り歩き、家内安全、五穀豊穣を祈願します。
冬の真っ盛り、2月の第2土曜、日曜の2日間には、『雪まつり』が開催されます。そば喰い競争や歌謡ショー、花火大会などのイベントが盛りだくさんの祭りです。雪に埋もれた茅葺き屋根の町並みが美しく幻想的です。
貴重な伝統的財産を守るための住民憲章
「大内宿」では、貴重な景観を未来に残していくために「売らない・貸さない・壊さない」という住民憲章を制定して、住民の一人ひとりが茅葺き民家の保存に大変な努力をしています。さらには、茅葺き屋根の葺き替え技術も習得し、いくつかあるトタン屋根に変わってしまった住居も、茅葺き屋根に戻していくそうです。
茅葺き屋根の住居は、いったん火事になるとすべてが失われてしまいます。「大内宿」の防火設備は各戸に自動火災報知設備、屋内消火栓や屋外には放水銃などが設備され、万全を期しています。毎年9月1日の防災の日には、訓練と機器点検のため放水銃からの一斉放水が行われます。
たばこやたき火など厳禁です。観光客の不注意から火災をおこさないように気をつけましょう。
基本情報
大内宿
住所:福島県南会津郡下郷町大字大内
問い合わせ先:大内宿観光協会
電話番号: 0241-68-3611
アクセス:
公共交通機関/会津鉄道湯野上温泉駅下車、タクシーで約10分。4月1日~11月30日までの期間は路線バス運行
車/東北自動車道白河ICから国道289号線経由、または須賀川ICから国道118号線経由で約3時間
URL:http://ouchi-juku.com/detail/622/
脚注1:参勤交代
江戸時代に幕府が大名統制のため一定期間諸大名を江戸に参勤させた制度。参覲交替とも書きます。
参照:参勤交代とは? 意外と知らない江戸時代の制度とその目的を知る
歴史マガジン https://rekijin.com/?p=29147
脚注2:阿賀川(あががわ・阿賀野川)
栃木県と福島県の県境に位置する荒海山に源を発する阿賀川(新潟県に入ると阿賀野川)は、川の幸を育みながら南会津から大川ダムを経て会津盆地に流れ込みます。「大川」として地域住民から愛され、頼られ、時には恐れられながらも、人々の暮らしと密接につながり多くの恵みをもたらしています。
やがて盆地を抜け出ようとする会津西部で、天を映す鏡と呼ばれる猪苗代湖から流下した日橋川と、天空の秘境尾瀬沼より流れ出た雄大な只見川と合流し、流量を増しながら山間部の渓谷を縫うように西を目指します。その昔、会津地方への塩や海産物は日本海から阿賀川を船で運ばれてきました。当時も、新潟との県境に横たわるこの渓谷は難所でしたが、阿賀川は会津にとってなくてはならぬ命の道だったのです。
新潟県に抜けた阿賀野川は新潟平野を悠然と横断し、やがて日本海へと注ぎ込みます。
参照:阿賀川について 国土交通省
脚注3:妻(つま)側
屋根を横から見たときに三角になった部分を、妻とか妻側といいます。
参照:タクミホームズ 建築用語
脚注4:屋根の形状
屋根の形状にはいろいろな種類があり、それぞれ名称も付けられています。
切妻(きりづま)屋根、寄棟(よせむね)屋根、といったような一般的な屋根から、入母屋(いりもや)屋根や越(こし)屋根などの伝統的な屋根、ギャンブレルやマンサードなど欧米の屋根など、図解と実例の画像をご紹介しながら、それぞれの屋根形状の特徴(メリットとデメリットなど)を解説します。
参照:屋根の形状
脚注5:宿駅制度(しゅくえきせいど)
宿駅制度は、旅行者や物品、書状などを輸送するために、駅または宿とよばれる集落をつくり、そこの住民に輸送を義務づけ、輸送はリレーにより次の宿駅までに限ることとし、また旅行者の休泊施設を整えておいたこと。
参照:コトバンク 宿駅制度
脚注6:本陣
本陣は天皇のおつかいである勅使や、公家、大名、公用で旅をする幕府の役人などが宿泊するための施設で、本陣だけに宿泊できないときに、予備にあてた宿舎が脇本陣です。
参照:横浜国道事務所 宿場について
脚注7:戊辰戦争(ぼしんせんそう)
慶応4年(1868年)戊辰の年1月から翌年5月にかけて、維新政府軍と旧幕府派との間で行われた内戦。鳥羽・伏見の戦い、上野の彰義隊の戦い、会津戦争、箱館戦争などの総称。大内宿関係したのは新政府軍と会津藩が戦った会津戦争(1968年9月)。
参照:コトバンク 戊辰戦争