京都府宇治市にある平等院はもともとは「宇治殿」と呼ばれ、貴族として絶大なる権力を誇っていた藤原道長の別荘でした。その別荘を息子の頼通が引き継ぎ、1052年にお寺に改め「平等院」と名付けたのが始まりです。この時代、世の中では治安が乱れており、仏教の正しい教えが行われなくなる末法の世になるという末法思想が流行していました。人々は極楽往生を願うようになり、阿弥陀仏の力にすがって救済を願う浄土信仰が広まっていきます。平等院も浄土信仰の影響を受け、極楽浄土を模倣してつくられた境内は「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまへ(極楽が信じられないのであれば、宇治の平等院を参拝しなさい)」といわれるほどでした。
平等院の中心には阿弥陀堂があります。この堂には遥か西方の極楽浄土にいるという阿弥陀如来の像が安置されています。像の作者である定朝は平安時代を代表する仏師でありながらその作品はことごとく失われ、平等院の阿弥陀如来像だけが唯一、確定された定朝の作品になっており、国宝にも指定されています。
阿弥陀堂は阿字池(あじのいけ)の中につくられた中島に建てられており、その姿はあたかも極楽浄土にある宝池に浮かぶ宮殿のようになっています。また阿弥陀堂の姿は、翼を広げた鳳凰のように見えるうえ、屋根の上にも一対の鳳凰の像が飾られていることから、江戸時代になると鳳凰堂の名で呼ばれるようになりました。あまりに美しいその姿は今でも多くの人を魅了しており、現在の日本の10円玉の表のデザインには鳳凰堂が、1万円札の裏のデザインには鳳凰の像が描かれています。
平等院の境内には四季折々の花が植えられており、訪れる季節によってちがう表情を見せてくれます。春には桜、夏には蓮、秋は紅葉、冬は椿。四季折々の花を楽しみながら庭園を周り、ふと気がつけば阿字池に映る鳳凰堂が目に入る。視線を上げれば、すぐそこには阿弥陀如来様が堂の中から微笑んでいらっしゃる。そんな経験をすればきっと、見た人の心には極楽浄土の姿が浮かび上がってくることでしょう。平等院鳳凰堂は1994年、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録されました。