「城崎温泉(きのさきおんせん)」は兵庫県の日本海側、豊岡市(よとおかし)にある1400(1300)年もの歴史をもつ温泉です。豊岡市の中心を流れ日本海に注ぐ1級河川円山川の河口近くに位置し、松葉ガニやブリなどの魚介類や但馬牛などの里の幸にも恵まれています。
「城崎温泉」の中心には、大渓川(おおたにがわ)が流れ、両岸には昔懐かしい雰囲気の温泉街が続きます。大渓川沿いには柳が植えられ、歴史ある老舗宿が多く、7つある外湯(共同浴場)めぐりもおすすめです
古い伝説が物語る歴史ある温泉
「城崎温泉」の起源にはふたつの伝説があります。ひとつは「約1400年前に1羽のコウノトリが足の傷を癒やしているのを見て、そこに温泉があることを発見した」(『鴻(こう)の湯』伝説)、もうひとつは1300年ほど前の奈良時代に「難病の人々を救うために訪れた道智上人(どうちしょうにん)が一千日のお経(八曼荼羅経[はちまんだらきょう])を唱えたところ温泉が湧き出した」(『まんだら湯』伝説。その後道智上人は738年に「城崎温泉」の守護寺『温泉寺』を創建しています)。
江戸時代の「城崎温泉」は、1851年に発表された『諸国温泉効能鑑』によると西の関脇で、有馬温泉(西の大関・横綱は不在)に次いで第2位にランクインしているほど人気になっていたようです。
1909年(明治42年)には、現在の山陰本線城崎温泉駅(開通当時は播但線城崎駅)が開業し、京都方面からの客が大幅に増え、「城崎温泉」の人気はピークを迎えます。1917年(大正6年)には志賀直哉(しがなおや)の小説『城の崎にて』が発表になるなど、多くの文人たちにも愛されていました。
大地震で壊滅的な被害を受けた温泉街
大いに賑わっていた「城崎温泉」ですが、1925年(大正14年)に大災害に見舞われ、壊滅状態になってしまいます。城崎地方を襲ったマグニチュード6.8の巨大地震(北但大震災[ほくたんだいしんさい])は、家屋の崩壊ばかりでなく城崎の町を大火が襲いかかります。震災直後の写真には大渓川の両岸には家が全く映っていません。
地震は5月23日午前11時9分57秒に発生したのですが、その時間は当時6軒あった外湯はほぼ満員だったそうで、避難できたのは2軒のみ。4軒の浴場は崩壊・全焼したため多く犠牲者が出ました。
震災からの復興はまず浴場の整備からと、すぐに外湯の新築工事が始まり、1932年(昭和7年)までに6軒全部が復活しています。それと同時に町の復興も始まり、旅館なども次々と建てられ、1935年(昭和10年)までに概ね完成し、今ある「城崎温泉」の骨格ができあがりました。
「城崎温泉」には今でも国の登録有形文化財に指定されている旅館や遊技場の建物などが残っていますが、この時に建てられたものが多くなっています。
旅館の内湯より豪華な7つの外湯
「城崎温泉」では限りある温泉を有効に使用するため集中管理しています。泉源は4か所で、その源泉を1か所に集め各施設に分配し、使用済みの温泉はすべて廃棄されるのでいつも新鮮です。
泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物高温泉で、泉温は約42℃、色は無色透明、アルカリ性の温泉です。効能は、きりきず、筋肉若しくは関節の慢性的な痛みやこわばり、冷え性、末梢循環障害、胃腸機能の低下、病後回復期、疲労回復、健康増進などに効果があります。
「城崎温泉」では、長い間宿など私有の施設では温泉浴場の設置は認められませんでした。北但大震災のあと、敷地内から温泉が湧き、温泉浴場を造った老舗旅館『三木屋』に対し、内湯撤廃を求めた城崎温泉の組合(城崎町湯島財産区)との訴訟問題は、23年もの長い裁判となってしまいます。結局、旅館内温泉浴場を認める代わりに、温泉は財産区がすべて管理し、旅館内の浴場の大きさを制限するという内容で決着しました(城崎温泉内湯訴訟事件)。
今でこそどの宿にも立派な温泉浴場がありますが、『三木屋』以外の旅館に温泉が配湯されたのはようやく1956年(昭和31年)になってからです。
「城崎温泉」には7つの外湯があります。昔からある『鴻の湯』『まんだら湯』『御所の湯』『一の湯』『柳湯』『地蔵湯』と2000年(平成12年)にオープンした『さとの湯』です。
コウノトリが傷を癒やした「鴻の湯」
「鴻の湯」は、「城崎温泉」発祥伝説が残る、1400年前にコウノトリが傷を癒やしていたといわれる温泉にちなんだ外湯です。大浴場、庭園露天風呂があります。
鴻の湯(夫婦円満・不老長寿、しあわせを招く湯)
電話番号:0796-32-2195
営業時間:7:00~23:00(入場は22:40まで)
定休日:火曜日
入浴料:おとな 700円、こども(3歳~小学生)350円
道智上人がお経を唱え湧き出した「まんだら湯」
1300年前に道智上人が八曼荼羅経を唱えたところ湧き出したという伝説にちなんだ外湯。2段になった内湯は浅い方が半身浴もできる気泡風呂になっています。自然の風景が望める露天風呂も人気です。
まんだら湯(商売繁盛・五穀豊穣、一生一願の湯)
電話番号:0796-32-2194
営業時間:7:00~23:00(入場は22:40まで)
定休日:水曜日
入浴料:おとな 700円、こども(3歳~小学生)350円
南北朝時代に天皇の姉が入浴した「御所の湯」
「御所の湯」は、北朝時代に安嘉門院(あんかもんいん・後堀川[ごほりかわ]天皇の姉)が入浴したとの話にちなんだ外湯。湯船は左右に桜が植えられた大きな庭園露天風呂だけで、内湯はありません。左右の風呂は日替わりで男女が入れ替わります。2020年11月リニューアルオープンしました。
御所の湯(火伏防災・良縁成就、美人の湯)
電話番号:0796-32-2230
営業時間:7:00~23:00(入場は22:40まで)
定休日:第1・3木曜日
入浴料:おとな 700円、こども(3歳~小学生)350円
江戸時代に天下一とうたわれた「一の湯」
「一の湯」は、江戸時代に名医といわれた香川修徳(かがわしゅうとく)が書いた『一本堂薬選』の中で、「城崎新湯(一の湯のこと)は天下一)」と書いたことにちなんだ外湯。温泉街の中央にあり、「城崎温泉」を代表する外湯です。大浴場と半露天の洞窟風呂、家族風呂があります。
一の湯(合格祈願・交通安全、開運招福の湯)
電話番号:0796-32-2229
営業時間:7:00~23:00(入場は22:40まで)
定休日:水曜日
入浴料:おとな 700円、こども(3歳~小学生)350円、家族風呂40分3,150円(3名以内)
大渓川沿いの柳通に面する「柳湯」
「柳湯」は、「中国西湖にあった柳を移植したら根元から温泉が湧き出した」という伝説が名前の由来となった外湯。大浴場のみの造りで、湯船が深く、湯温が少し高めになっています。「柳湯」の入り口付近と裏手に足湯(無料)があります。
柳湯(子授安産、子授けの湯)
電話番号:0796-32-2097
営業時間:7:00~23:00(入場は22:40まで)
定休日:木曜日
入浴料:おとな 700円、こども(3歳~小学生)350円
江戸時代から住民に親しまれていた「地蔵湯」
「地蔵湯」は、この泉源から地蔵尊が見つかったことから名付けられました。江戸時代から住民に親しまれていた温泉で、内湯と家族風呂だけの外湯です。
地蔵湯(家内安全・水子供養、衆生救いの湯)
電話番号:0796-32-2228
営業時間:7:00~23:00(入場は22:40まで)
定休日:金曜日
入浴料:おとな 700円、こども(3歳~小学生)350円、家族風呂40分3,150円(3名以内)
駅近の温泉「さとの湯」
「さとの湯」は、2000年(平成12年)にオープンしました。駅のすぐ近くにあるので、列車の待ち時間に利用する人が多い外湯です。大浴場、露天風呂、蒸し風呂、ドライサウナ、フィンランドサウナ、水風呂、ジェットバス、バイブラバスなどが備わっています。ここだけ営業時間・料金が違うので要注意です。
駅舎温泉 さとの湯(ふれあいの湯・城崎温泉交流センター))
電話番号:0796-32-0111
営業時間:13:00~21:00(入場は20:40まで)
定休日:月曜日
入浴料:おとな 800円、こども(3歳~小学生)400円
文化財が多く点在し、温泉情緒たっぷりの「城崎温泉」
「城崎温泉」は、北但大震災ののち建てられた90年近く経った木造の建物を中心に、昔の雰囲気を残した温泉街が創られています。宿泊施設は70軒ほどあり、『三木屋』『ゆとうや旅館』『西村屋』『新かめや』『小林屋』の建物は国の登録有形文化財に指定されている貴重なものです。そのほか『旧城崎郵便局』や『城崎温泉ロープウエイ駅』や『温泉寺』『極楽寺』、天然記念物『玄武洞』などの文化財が多く、7つの外湯も含め町歩きが大きな魅力になっています。浴衣に着替えての町ブラがとても似合う温泉町が「城崎温泉」です。
住所:兵庫県豊岡市城崎町湯島
城崎温泉観光協会
電話番号::0796-32-3663