「松崎」は、静岡県の伊豆半島南部にあるなまこ壁の民家や蔵が多い港町です。明治時代初期から養蚕が盛んになり、海外での絹製品ブームも相まって、絹糸・呉服の集積地、積み出し港として大いに栄え、町には多くの商人が集まりました。
海に面する松崎は風が強く、特に冬の西風は一旦吹き始めると“3日は止まない”といわれるほど長続きします。松崎の人たちにとって風は大敵で、最もおそれていたのが火事です。そのため堅牢で、また火に強い家が求められ、費用は高くても屋根を瓦で葺き、壁全体を瓦で覆い、漆喰で塗り固めた「なまこ壁」の家が造られたのです
漆喰だけの壁に変わって、下地に瓦を使った「なまこ壁」
「なまこ壁」は、土壁の上に下地として長方形で平らな平瓦(ひらがわら)を並べ、目地(めじ)と呼ばれる継ぎ目部分に漆喰をかまぼこ状に丸く盛り上げて塗った壁です。「なまこ壁」と呼ばれるのは、丸く盛り上がった漆喰の形状が、海の生物なまこ(海鼠)に似ているからといわれています。
「なまこ壁」は川越の蔵造り商家に見られるような土壁の上から漆喰を塗った白壁と比べ、土壁の上に瓦を並べることによって、より火災に強くなったばかりでなく、瓦が湿気を吸ってくれることにより、より耐久性が高まるというメリットがあるのです。「なまこ壁」は江戸時代に「城郭」や「武家屋敷」から始まったもので、松崎以外にも全国各地に残っていますが、家の壁すべてが「なまこ壁」の建物は松崎以外にはあまり見かけません。
「なまこ壁」には、かまぼこ状の漆喰が縦に四角く並んだもの(芋目地[いもめじ])や45度斜めに並んだもの(四半目地[しはんめじ])など、いくつかデザインの違った目地の形がありますが、それぞれが美しい幾何学模様をしていますが、松崎では“四半目地”が多くなっています。
四半目地の壁が美しい「なまこ壁通り」
松崎には「なまこ壁」の建物が190軒ほど残っています。旧町内エリアには「なまこ壁通り」があり、明治時代に富を築いた大きな「なまこ壁」の蔵や民家が建ち並んでいて、その幾何学模様が続く風景は壮観です。特に薬問屋を営んでいた近藤家の辺りは、松崎随一の撮影スポットとして人気になっています。
近藤家からは明治から昭和にかけて日本の薬学の世界的研究家、東京帝国大学(現東京大学)薬学部教授の近藤平三郎を輩出しました。平三郎は晩年文化勲章を受章しています。
近藤家(近藤平三郎生家)
住所:静岡県賀茂郡松崎町松崎216
電話番号:0558-42-0745(松崎町観光協会)
外観のみ見学可:無料
民俗資料館として公開されている「中瀬邸」
「中瀬邸」は呉服問屋として富を築いた豪商依田呉服店の邸宅として1887年(明治20年)に建てられたもので、呉服店の屋号が“中瀬”だったため「中瀬邸」と呼ばれています。1998年(平成10年)に松崎町が買い取り、母屋は民俗資料館として一般公開しています。蔵の壁には珍しい黒い漆喰を使ったなまこ壁があります。
明治商家 中瀬邸
住所:静岡県賀茂郡松崎町松崎315-1
電話番号:0558-42-3964(松崎町企画観光課)
開館時間:9:00~17:00
休館日:無休
料金:無料
無料休憩所になっている豪商「伊豆文邸」
「伊豆文(いずぶん)邸」は1910年(明治43年)築の木造2階建ての店舗兼住居です。かつて呉服商として財をなした持ち主が松崎町に寄贈し、町が休憩所として開放しています。裏手にはなまこ壁の蔵が2棟建っています。
伊豆文邸(無料休憩所))
住所:静岡県賀茂郡松崎町松崎250-1
電話番号:0558-42-3964(松崎町企画観光課)
営業時間:9:00~16:00
料金:無料
休業日:不定休
左官職人が腕を競った「こて絵」
「なまこ壁」造りには高い左官技術が求められます。漆喰を塗る鐺(こて)をいかにうまく操るかが決め手になるのですが、左官職人はその腕(技術)を競うことに魂を注ぎました。自分の腕の証しとして、「こて絵(鐺絵)」を残したのです。漆喰を使って壁や出窓などに絵を描きました。本来は単なる家の飾りなのですが、それがなんとも芸術性が高く、その腕の高さには驚かされます。
左官職人の技を芸術へ深化させた伊豆の長八
「こて絵」は全国各地の漆喰壁や「なまこ壁」に描かれていますが、松崎からとんでもない高い技術と芸術性をもった職人が現れます。江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した入江長八(いりえちょうはち・1815年~1889年)です。
長八は松崎に生まれ12歳で左官に弟子入りします。もともと器用で、絵を学びたいと思っていた長八は、19歳で江戸に出て狩野派の絵師のもとで3年間修行に励みます。こてを使って絵を描く「こて絵」に絵画の技法を融合し、色彩豊かな漆喰を使った芸術作品を完成させたのです。
26歳の時日本橋茅場町にあった不動堂再建の際に、柱の左右に漆喰による龍を描き上げ、一躍“伊豆の長八”として江戸中に知られるようになりました。その後東京浅草の浅草寺観音堂や目黒の祐天寺(ゆうてんじ)など多くの場所に漆喰細工を残していますが、関東大震災や第2次世界大戦などによりほとんどの作品は失われてしまいました。
ふるさとの松崎には何回か里帰りし、現在は「長八記念館」になっている浄感寺(じょうかんじ)や、国の重要文化財「岩科学校(いわしながっこう)」、旅館「山光荘(さんこうそう)」などに作品が残っています。また、「伊豆の長八美術館」にも50点ほどが集められ展示されています。
長八の菩提寺・浄感寺にある「長八記念館」
浄感寺は松崎の古刹で、約300年前に松崎の大火により消失してしまいましたが、1847年に再建されました。その際に江戸にいた入江長八が里帰りし、幼少の頃学んだお寺への恩返しで本堂建築に関わり、多くの作品を残しました。
特に「雲龍」と「飛天の像」は傑作といわれ、静岡県の有形文化財に指定されています。
浄感寺の本堂は「長八記念館」になっていて、長八の作品が鑑賞できます。
浄感寺「長八記念館」
住所:静岡県賀茂郡松崎町松崎234-1
電話番号:0558-42-0481
開館時間:9:00~16:00(変更あり・要問い合わせ)
入館料:500円、中学生以下無料
休館日:火曜日・不定休
URL:https://chouhachi-mh.izu-westwind.net/
長八作品50点を展示「伊豆の長八美術館」
「伊豆の長八博物館」は、建設時に全国から左官職人を集め、その技を競うように建てられた特徴的な美術館です。随所に現代の左官技術が駆使され、「江戸と21世紀を融合させた建物」として名高い建築賞を受賞しました。長八の作品は50点ほど集められていて、その芸術性の高さは見る人を圧倒します。
伊豆の長八美術館
住所:静岡県賀茂郡松崎町松崎23
電話番号:0558-42-2540
開館時間:9:00~17:00
入館料:500円、中学生以下無料
休館日:年中無休(メンテナンス休あり)
URL:http://www.izu-matsuzaki.com/publics/index/69/
長八の宿 山光荘
住所:静岡県賀茂郡松崎町松崎284
電話番号:.0558-42-1047
宿泊料:要問い合わせ
URL:https://www.sankousou.com/
伊豆最古の小学校、国の重要文化財「岩科学校」
「岩科学校」は、1880年(明治13年)に完成した伊豆最古の小学校です、なまこ壁を活かした寺社風建築にバルコニーなど洋風な雰囲気を取り入れた和洋折衷建築として国の重要文化財に指定されています。建造年代としては1875年(明治8年)築の旧睦沢学校舎(むつざわがっこうしゃ・現藤村記念館・山梨県甲府市・国の重要文化財)、1876年(明治9年)築の国宝・旧開智学校(きゅうかいちがっこう・長野県松本市・国宝)に次ぐ3番目の古さです。
2階にある客間「西の間」の欄間には入江長八の千羽鶴が一羽一羽形を変えて描かれています。
旧岩科村役場の「開花亭」でいただく“桜葉餅“
「岩科学校」の敷地内にある「開化亭」は、元岩科村役場(1875年築)として使われていた建物を移築したもので、現在は休憩所として使われています。
「開化亭」では、松崎町名物“桜葉餅”が食べられます。桜葉餅はあんこの入った餅を、塩漬けにした桜の葉で包んだもので、一般には“桜餅”の名前で親しまれています。塩漬けした桜葉は、自生するオオシマザクラの葉を1枚1枚丁寧に摘み取って、巨大な樽に半年間漬け込んだもので、松崎町が全国シェア70%を誇ります。
“桜葉餅”は開化亭のほか、松崎町内の和菓子屋さんなどで販売されています。
国指定重要文化財 「岩科学校」・「開化亭」
住所:静岡県賀茂郡松崎町岩科北側442
電話番号:0558-42-2675
開館時間:9:00~17:00(年中無休)
入館料:300円、中学生以下無料
休館日:無休
URL:http://www.izu-matsuzaki.com/publics/index/54/
基本情報
住所:静岡県賀茂郡松崎町
問い合わせ先:松崎町観光協会
電話番号:0558-42-0745
アクセス:
公共交通機関/東海道新幹線三島駅乗り換え伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅下車、松崎方面行き路線バスで約100分
車/東名高速道路沼津IC、新東名高速道路長泉沼津ICから東駿河湾環状道路、伊豆中央道、国道136号線で約95分
URL:https://izumatsuzakinet.com/
脚注1:養蚕(ようさん)
養蚕農家が桑を栽培し、蚕を育て、繭を生産する一連の営みを養蚕業といいます。
出典 農林水産省 養蚕
脚注2:漆喰(しっくい)
水酸化カルシウム(消石灰)を主原料とした塗り壁材です。消石灰とは石灰石を焼いて水を加えたもので、糊(のり)やスサ(ひび割れを防ぐ補強材)を加えて、水で練ったものが漆喰です。
参照:漆喰情報 日本プラスター株式会社
脚注3:こて絵(鐺絵)
こて絵は、漆喰(しっくい)を塗った上に左官道具のこてで風景や肖像などを描き出す技法です。
参照:鐺絵とは 宇佐市観光協会安心院支部
脚注4:狩野派(かのうは)
親子(血縁)関係でつながった、狩野家を中心とした絵師の集団で、常に幕府の仕事を行ってきた人たちのことです。
参照:狩野派 コトバンク