“ジャパンレッド”で繁栄した山あいの里「吹屋」

吹屋の街並みの外観
(画像提供:岡山県観光連盟)
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「吹屋」は、岡山県高梁市成羽町(たかはししなりわちょう)にある、江戸時代から昭和30年代まで『ベンガラ(弁柄)』の生産で栄えていた山あいの鉱山・商業町です。

「吹屋」へはJR伯備線の備中高梁駅から路線バスで約1時間、かなり山深い道を上って行きます。車だと中国自動車道新見インターから40分ほどかかります。大きな街道沿いでもないこんな山の中に忽然と赤い色をした家並みが現れます。

道路沿いに立ち並ぶ民家の多くは江戸時代から明治期に建てられたもので、いずれもかなり立派なものです。屋根は赤銅色の石州瓦(せきしゅうかわら)で葺かれ、外壁や格子などはすべて赤く塗られています。この赤い塗料は『ベンガラ』といい、「吹屋」はその一大産地として大いに繁栄していたのです。

吹屋の街並みの外観
(画像提供:岡山県観光連盟)

古くから銅の産地として知られた「吹屋」

吹屋の歴史はこの地で銅が産出したことから始まります。平安時代の806年頃といわれ、「吹屋」という名前もそこから来ています。“吹”とは銅を精錬することを表していて、精錬していた家を“吹屋”といっていたのです。

銅の生産が盛んになったのは江戸時代、大坂の豪商、のちに住友財閥の祖となる「泉屋」を創業した蘇我理右衛門(そがりえもん・泉屋理右衛門)が幕府から銅の生産を請け負ってからで、西日本一の生産量を誇るようになりました。

明治時代からは三菱が銅山を経営

泉屋はすぐに本拠を四国の別子銅山に移し、長い間地元の鉱山主が銅を生産していましたが、明治時代に入り三菱財閥が吹屋銅山(吉岡銅山)の経営権を得ます。

三菱は膨大な資金力で銅山の近代化に力を注ぎ、大正時代には従業員1,300人あまり、日本三大銅山のひとつといわれるほど大きな銅山に成長させたのです。

その後、第1次世界大戦や世界恐慌による大不況で経営は破綻し、1932年(昭和7年)に閉山してしまいます。しかし、第2次世界大戦後の好景気に乗じて銅の生産を再開したのですが、銅の需要は次第に少なくなり1972年(昭和47年)に再び閉山し、復活することのない廃坑となったのです。

吹屋の鉱山跡の様子
(鉱山跡)

銅山の町として賑わっていた「吹屋」ですが、さらにその副産物で巨万の富を得る人たちがいました。それが『ベンガラ』を製造・販売する商人たちです。

『ベンガラ』は人類が最初に使った鉱物性塗料

『ベンガラ』とは、人類最初に使った赤色の無機物(鉱物)でできた顔料(塗料)で、フランス南西部のラスコー洞窟やスペインのアルタミラ洞窟に描かれた約2万年前の壁画に使われているのが知られています。

『ベンガラ』は植物性の染料と違って、ほとんど経年変化がありません。壁画が2万年もの間変色していないのは『ベンガラ』のおかげなのです。

日本でも9500年前の縄文時代前期の遺跡から赤く塗られた土器が出土し、『ベンガラ』が使われていました。さらに、7世紀末にできた高松塚古墳からは、極彩色の人仏像が描かれていて、その中に同じ赤色の塗料“朱(しゅ)”とともに、『ベンガラ』が用いられています。

ベンガラの染料の写真
(「ベンガラ館」 画像提供:岡山県観光連盟)

『ベンガラ』の由来はインド・ベンガル地方

『ベンガラ』は、その名前の由来となったインドのベンガル地方で多く産出する天然の鉱物(赤鉄鉱・酸化鉄)です。しかし、日本では天然には存在しなかったため、古来中国経由などで入ってきたベンガル地方の『ベンガラ』が使用されていました。

しかし、この『ベンガラ』は貴重な上価格が高かったため、国内でも生産できないかいろいろ試されていたのですが、ようやく1704年頃になって「吹屋」で人工的に『ベンガラ』を創り出すことに成功したのです。

ベンガラ工場跡の写真
(ベンガラ工場跡[復元] 「ベンガラ館」 画像提供:岡山県観光連盟)

銅製造の副産物が、巨万の富を生み出す

銅山から産出する副産物、硫化鉄を焼いて淡い青色をしたローハ(緑礬[りょくばん])を造り出し、さらに焼いて酸化させると赤褐色の生成物が残ります。まさしくこれが『ベンガラ』で、インド産より赤の色合いが鮮やかで、しかも、大量生産が可能でした。「吹屋」から大阪に送られた「吹屋ベンガラ」は、評判を呼び瞬く間に日本中に広まっていったのです。

『ベンガラ』は湿気にも強く、外壁や船底の防腐剤として使われていますが、「吹屋ベンガラ」は京都や金沢に代表される花街のベンガラ格子や神社仏閣の柱や外壁などにこぞって使われたため、日本中の建物が鮮やかなに「吹屋ベンガラ」色に染まっていったのです。

京都のベンガラ色が使われた壁
(京都のベンガラで塗られた壁[イメージ])

江戸から明治時代に建てられた立派で赤い町並み

『ベンガラ』は、多くの“ベンガラ長者”を生み出し、「吹屋」は銅山の町以上に「吹屋ベンガラ」の町として繁栄していきます。「吹屋ベンガラ」で財をなした旦那衆は、相談して石州(島根県・石州瓦の里)から職人を招いて、町全体を統一した“ベンガラ色(「ジャパンレッド」)”に作り上げました。

江戸末期から明治に完成した現在も残る町並みは、1977年(昭和52年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、さらに2020年(令和2年)には日本遺産「『ジャパンレッド』発祥の地~弁柄と銅の町・備中吹屋~」として認定されています。

吹屋|赤の町を歩く
(画像提供:岡山県観光連盟)

「吹屋」での『ベンガラ』生産は、江戸・明治・大正・昭和と続いたのですが、昭和40年代になると銅の精錬過程や『ベンガラ』製造過程での公害が大問題となり、「吹屋」での銅関連の生産がすべて中止され、産業としての「吹屋ベンガラ」の歴史は幕を閉じました。

『ベンガラ』は、現在でも三重県や広島県などにある製造会社によって化学合成され、生産されていますが、「吹屋ベンガラ」の鮮やかな赤色は発色できないようです。それだけ「吹屋ベンガラ」の技術は素晴らしく、復興の要望も多くなっています。

2008年(平成20年)になって、「吹屋ベンガラ」の祖といわれる西江家と九州大学との共同研究により、公害のない「吹屋ベンガラ」製造に成功しました。現在は受注生産ですが、今後世界遺産、国宝、重要文化財など歴史的建造物の保護や伝統工芸などに広く活用されることが期待されています。

『ベンガラ』製造が再現された「ベンガラ館」

ベンガラ館の入口
(画像提供:岡山県観光連盟)

「ベンガラ館」は、明治期のベンガラ製造工場を再現したものです。当時の建物や道具などを忠実に復元しています。土曜日、日曜日、祝休日、月曜日のみ開館。

ベンガラ館

電話番号:0866-29-2136

開館時間:土日祝 9:00~17:00、月曜日 10:00~16:00

入館料:おとな 300円、こども 150円

休館日:火水木金、12月29日~31日

町並みの中でひときわ目立つ豪商「旧片山家住宅」と「郷土館」

旧片山住宅外観
(画像提供:岡山県観光連盟)

片山家は1759年創業のベンガラ製造・販売を手がけた豪商で、屋号は「胡屋(えびすや)」。間口は10間(約18m)ですが、奥行きは40間(約73m)もある豪邸です。主屋は江戸時代の1700年末期に建てられたもので、現在の屋敷構成は1830年代に完成していると考えられています。国の重要文化財です。

郷土館の外観
(画像提供:岡山県観光連盟)

「郷土館」は、片山家の分家が1879年(明治12年)頃石州の宮大工が建てた、吹屋を代表する建物です。現在は「郷土館」として利用されています。

旧片山家住宅

郷土館

開館時間:10:00~17:00

電話番号:0866-29-2205(両館とも)

入館料:おとな 500円、こども 250円

休館日:12月29日~31日

「吹屋ベンガラ」で巨万の富を築いた豪商の大邸宅

西江邸

西江邸の外観
(画像提供:岡山県観光連盟)

西江家は1700年前後から『ベンガラ』の製造に成功したと伝わる成羽藩(なりわはん)の庄屋です。1751年に吹屋の鉱山のひとつ本山鉱山を開鉱し、ローハとベンガラの生産を行い「吹屋ベンガラ」の祖といわれています。

屋敷は吹屋から少し離れた場所にあり、代官御用所を兼ねていた建物で、江戸時代中期(1710年頃)に建てられています。その豪奢な大邸宅は、「吹屋」の全盛期がいかに繁栄していたかを如実に表しています。現在も西江家の個人宅ですが、見学は予約制で可能です。ベンガラ染めの体験もできます。

西江邸

住所:岡山県高梁市成羽町坂本1604

電話番号:0866-29-2805

開館日:事前予約制

見学料:1650円 18代当主の説明(お茶・お菓子付き)

ベンガラ染体験:1650円 スカーフ ※事前予約制

ベンガラ染体験:3300円 ストール ※事前予約制

休館日: 不定休

URL:https://inishiekaoru1647.wixsite.com/nishie-residence

広兼邸

広兼邸の外観
(画像提供:岡山県観光連盟)

広兼家は、江戸時代(1800年頃)から、吹屋で銅山のひとつを所有し、『ベンガラ』を作る原料ローハ製造で巨大な富を築きました。城郭のような石垣の上に建つ大邸宅で、建築は江戸時代末期といわれています。「吹屋」の町並みからは車で5分ほどのところにあります。

この建物は映画「八つ墓村」のロケ地として2度(1977年、1996年)も使われました。

広兼邸

住所:岡山県高梁市成羽町中野2710

電話番号:0866-29-3182

開館時間:9:00~17:00(12月~4月中旬は10:00~16:00)

入館料:おとな 400円、小中学生 200円

休館日:12月29日~31日

観光用に整備された吹屋銅山の旧坑道、笹畝坑道

笹畝坑道の入口
(画像提供:岡山県観光連盟)

「笹畝坑道(ささうねこうどう)」は、江戸時代から大正時代まで採掘されていた坑道で、黄銅鉱や硫化鉄鉱を産出していました。1978年(昭和53年)に坑道の一部を見学できるように復元されています。

「吹屋」の地下には網の目のように坑道が掘られ、銅などの採掘が行われていましたが、その坑道は今でも地下深くに眠っています。

吉岡銅山 笹畝坑道

住所:岡山県高梁市成羽町中野1987

電話番号:0866-29-2145/0866-29-2222

開館時間:土日祝 9:00~17:00、平日 10:00~16:00

入館料:おとな 400円、こども 200円

休館日:12月29日~31日

10年前まで現役だった「旧吹屋小学校」

旧吹屋小学校の外観
(画像提供:岡山県観光連盟)

「旧吹屋小学校」は、2012年(平成24年)3月末をもって廃校になった小学校です。開校は1873年(明治6年)です。現在の地には1900年(明治33年)に西校舎、東校舎、1909年(明治42年)には本館が建てられ、111年間そのまま現役の小学校として使われてきました。西校舎・東校舎は教室で、2階建ての本館2階は講堂になっています。講堂には100年以上前からあるというオルガンが置かれていて、これはまだまだ現役で頑張っています。

鉱山や「吹屋ベンガラ」の最盛期には300人もの生徒が学んでいましたが、廃校時はわずか7人でした。

2021年3月現在解体修理中で、2022年に完了、その後公開される予定です。岡山県の重要文化財。


基本情報

国の重要伝統的建造物群保存地区、岡山県ふるさと村「吹屋」

住所:岡山県高梁市成羽町吹屋

問い合わせ先:高梁市吹屋観光協会(吹屋ふるさと村)

電話番号:0866-29-2205

URL:https://sites.google.com/site/fukiyakankou/home

アクセス:

公共交通機関/JR伯備線備中高梁駅から路線バスで約1時間

車/中国自動車道新見インターから約40分

脚注1:石州瓦(せきしゅうかわら)

江戸時代の初めに石見国で産声をあげた石州瓦は、島根県西部地方(大田市、江津市、浜田市、益田市)またがる地場産業として産地を形成しています。独特の赤銅色で知られ、赤い屋根の町並みや集落を山陰地方では至るところで見ることができます。

参照:屋根の学校

石州流自然共生の提案【屋根の学校】 石州瓦工業組合
石州瓦工業組合が提供する、屋根と屋根材に関する様々な情報サイトです。

脚注2:朱(しゅ)

「朱」は赤あか色いろの顔料で、化学的には硫化水銀(水銀と硫黄の化合物)です。同じ赤色顔料であるベンガラ(弁柄)や鉛丹(鉛の酸化物)と区別して「水銀朱」ともいい、略して「銀朱」ともいいます。

わが国には天然の水銀はほとんどなく、鉱物として産出する「辰砂」(朱砂丹砂・丹朱)を精錬して水銀朱を得ていました。辰砂を砕くだき、すりつぶして粉末にし、水簸(すいひ・水に混ぜて沈殿でんさせ、選り分ける)して朱が得られます

参照:現代に未来に生きる伝統工芸 美しい「もの」をつくりたい

手わざを支える人ともの Ⅱ 朱 編 公益社団法人 日本工芸会 近畿支部

京都府教育委員会 文化財保護課
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脚注3:成羽藩(なりわはん)

成羽藩は、吹屋がある備中国川上郡成羽(岡山県高梁(たかはし)市成羽町)に陣屋を置いた藩です。1617年(元和3)山崎家治(いえはる)が、因幡(いなば)国(鳥取県)若桜(わかさ)から入封し、摂州の地3566石をあわせ、3万5000石の大名として立藩しました。1637年(寛永14)家治は肥後国(熊本県)天草へ移封されましたが、1639年、常陸(ひたち)国(茨城県)下館(しもだて)藩主水谷勝隆(みずのやかつたか)が5万石で入部しています。

参照:成羽藩 コトバンク

成羽藩(なりわはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
日本大百科全書(ニッポニカ) - 成羽藩の用語解説 - 備中(びっちゅう)国川上郡成羽(岡山県高梁(たかはし)市成羽町)に陣屋を置いた藩。1617年(元和3)山崎家治(いえはる)が、因幡(いなば)国(鳥取県)若桜(わかさ)から入封。摂州の地3566石をあわせ、3万5000石の大名として立藩。1637年(寛永1...